15 juin 2009

Problemi sociali in Giappone

Chi studia giapponese avrà sicuramente sentito almeno una volta parlare di questo problema sociale. I cosidetti "hikikomori" (da 引きこもる cioè "isolarsi, rinchiudersi, tapparsi"in un luogo) sono circa 1'636'000 persone di cui 1'300'000 adulti che per un qualche trauma subito o per motivi apparentemente sconosciuti non escono piu' di casa, non vanno piu' a scuola o non vanno piu' al lavoro, tendono a non voler vedere nemmeno i membri della loro famiglia e vivono in modo del tutto isolato, a volte rinchiudendosi a chiave, perlopiu' uscendo la notte per andare a prendere del cibo, il tutto spesso col sostegno economico dei genitori. Questo periodo di isolamento dura a volte anni, e anche se capita che si interrompa, ci sono casi "cronici". Difatti gli hikikomori sono affetti da una sindrome la cui caratteristica è di svilupparsi a causa della(e quindi solo in alcune determinate) società. Altre caratteristiche (che possono comparire tutte contemporaneamente o meno) sono rapporti sociali zero, malattie nervose, violenza. Non sembra esistere una cura, o perlomeno non è molto diffusa la notizia della sua esistenza. Esistono invece siti di associazioni di genitori i cui figli sono diventati hikikomori. Soffrono anche loro delle conseguenze, ma a volte una parte della responsabilità è loro...
Su youtube ci sono molti video in merito. Per dare una spiegazione semplicistica, direi che i giapponesi sono troppo sensibili, oppure da piccoli nessuno gli ha insegnato che nella vita ogni tanto capitano cose che ci contrariano, e reagiscono in modo spropositato. Come un hikikomori adulto di cui ho sentito una breve intervista all'interno di un servizio, che dichiara essere diventato tale dopo la laurea per aver letto sui giornali che era un periodaccio (dal punto di vista economico) e si è scoraggiato perchè era difficile trovare un lavoro, nonostante il titolo di laurea. L'interessato pero' si è chiuso in casa a non lavorare senza aver provato a cercar lavoro. Altro caso invece una ragazza diventata obesa si è chiusa in casa. Certo l'obesità non dev'essere facile da sopportare qui.
Nel video di cui vi propongo il link qui sotto, una situazione ancora diversa, ma estrema: un ragazzo diventato hikikomori per motivi sconosciuti ai genitori, sin dalla prima media. E' chiuso in casa da 20 anni, ma non solo. All'inizio era violento contro gli oggetti (televisione, stufa etc), poi verso la nonna. I genitori sono stati costretti a costruire una casa a parte per farci andare a vivere la nonna in sicurezza. A quel punto il figlio è diventato violento nei confronti della madre, la quale deve dormire nell'ufficio della ditta di famiglia, un prefabbricato senza riscaldamento. Solo il padre dorme ancora al secondo piano della casa, che è diventata territorio del figlio. Il quale si prende il cibo preparato dalla madre in frigorifero di notte, ma quando non gli piace le ordina di prendere qualcosa al take away. E quando non gli aggrada, lo rovescia in terra.
No comment. Buona visione!

20年間ひきこもり 息子におびえる母父

http://www.youtube.com/watch?v=WI47SbFy5J0

SCRIPT スクリプト

佐藤さんは、妻と息子、妻の母親の4人暮らし。1000坪の敷地には建設事会社の務所と自宅があるのだが、妻の宮子(みやこ)さんによると
「そこに出入りしてんのは旦那だけで、私もはめったに入らない。今現在、そちらは、あのう、息子のお城ですので、他人が侵入することは許されないんです。」
32歳の息子が母屋を占領。母親や祖母の立ち入り禁止、暴力を振るうこともあるという。
「息子は今、あそこにいますけども、向こうの部屋にいて」
「息子さんが向こうに?」
「そうですね、離れのほうで」
「この先の?」
「そうですね。」
「あ、じゃ、あんまり、大きい声で・・」
「そうですね。」
幼い頃は、活発な子供だった。なぜこんなことに?
「どういうきっかけ・・」
「きっかけは分からない。」
中学1年の頃、突然不登校になり、自分の部屋にひきこもりようになった。さらに、家庭内暴力も。
「これも、テレビも、ご覧のとおりで。蹴飛ばして。まだテレビは使えるんですけど。」
「あ、このへん・・凹んでますよね」
「ほとんど、全滅壊滅状態です。」
当初は、物にあたりちらしていた息子。その暴力は次第に祖母へと向けられた。
「別居生活。親達は。そうですね、我々は耐えるしかなかったから。」息子の暴力から、祖母を守るため、佐藤さんは離れを作り、祖母を避難させた。すると、息子の暴力は母親である宮子さんに向けられ、宮子さんも母屋を出たという。
「もともとはこの母屋にみんなさんで暮らしていた。」
「そうですね。それが、20年経つ間にバラバラになってしまったと。」
現在、母親の宮子さんは、事務所のわきにある、プレハブ小屋で寝泊りし、祖母は離れで暮らしている。そして、百坪ある母屋には息子はひきこもり、父親はである佐藤さんだけが、母屋の二階で寝泊りしているという。夫婦の気が休まる場所は会社の事務所だけだという。息子の暴力から逃れ、プレハブ小屋で生活をする母親の宮子さん。このような場所での生活が、4年間も続いている。
「妻がここを寝床にしているところですね。」
「じゃもう?」
「ここで、ここで、ここで。」
「ここに布団を?」
「それが布団一式です。湯たんぽを使ってます。」
「寒いですよね。」
「寒いですよ。」
この時期、マイナス10度にもなる夜を、宮子さんは暖房もないこのプレハブ小屋で耐え忍んでいるのだ。このまま、息子の好き勝手にさせるわけにはいかない。父親である佐藤さんは母屋に残り、二階で寝泊りしているという。
100坪の家を自分のテリトリー、縄張りしてしまったみたいな感じなので、私が出てしまうとちょっとやばいかなと。
そんな父親に対し、なんと息子は様々な嫌がらせをし、母屋から追い出そうとしているのだ。
「この障子を破いたり、あるいは、その、ここの、布団部屋のところに、茶殻を入れたり、コーヒーのかすを入れたりみたいな、嫌がらをするということですね。」
と、その時。
「来た、来た、来た。」
寝ていた息子が起きた。夫婦がいつも、息子の行動を気にしながら生活をしている。
「ご飯?」
「ご飯、ちょっと食べるかどうか分からない。
いずれにしたって、いついるのか分からないから。ここに立っているわけにいかないし。」
気にいらないことがあると、突然暴れ出すという息子。我々は取材を一日中断した。
母親の宮子さんはいつ起きてくるか分からない息子のために、毎朝、食事を用意している。食事がないと、息子に怒鳴られるからだ。
「いませんので、ラップで包んで、冷蔵庫に入れますね。」
息子は腹がへると、祖母の離れにきて冷蔵庫を漁り、食事をすませると、母屋に帰るという。
「昨日も夜中に冷蔵庫からパンがなくなっていますので、夜中に食パンを取りに来て食べてます。」
食事がないと、怒鳴り散らす息子。
しかし、宮子さんの手料理に手をつけることはあまりないという。収入のない彼が何を食べ、どのような生活をしているのか、その答えが、母屋の台所にあった。
「これはコンビニ?」
「そうですね、コンビニ、そういうことで買い物ができるということですね。」
「あ、でもね、いろいろこうレシートをきちんとこうそろえてあったり。」
「そういうところの神経症的な部分があるんですよ。」
息子は母親の用意した食事、気にいらないと自分の車で出かけコンビニで、自分の食べたいものを買ってくるという。
「お金っていうのは、どうしているんですか。」
「だから食費についてはレシートを持って来て、私が再度出す形ですね。」
息子の食費だけで、多いときは月に8万円にもなるという。
「自分で行動ができますので、あのう、ま、本人の言い分だと、「俺は不登校はしたけど、ひきこもりじゃない」と言い方もしてるんで。」
いつか立ち直ってくれる。息子を信じ、佐藤さんは20年耐えてきた。しかし、その我慢も限界に・・・
「寝てるんだったら、ずっと寝ててください。私が死んだらすべて終わりますから・・いうのは本音。」
と、その時、突然息子から電話が。その内容に我々は耳を疑った。
「第一声は?」
「「俺腹減ったから、出前とれ」。」
母親は用意した料理が気に入らないから、手前を取れというのだ。料金を支払うのはもちろん親。そして母親はめったに入らない、母屋と事務所をつなぐ重い扉を開いた。
「坦々麺きました。」
事務所と母屋をつなぐ通路に出前をお置き、戻ってきた母親の口から驚くべき言葉が。
「ひょっとしてそのおそばがぶちまけられる恐れが50%あります。」
「あ、そうだね。」
「暴れる可能性があるという。」
機嫌が悪いと出前をぶちまけ、部屋中をめちゃめくちゃくにするというのだ。30分後母親は恐る恐る、ドアの向こうへ。帰ってきたその手には食べ終わったどんぶりが。
「あきびん回収ですね。ちゃんと食べましたね。ぶちまけませんでしたね。よかったですね。油っぽいですから、あれをひっくり返されたら大変ですよ。」
佐藤さんは現在、無職、今年4月に、父親から受け継いだ建設会社を廃業した。
現場資材を含めてね、あと書類を保管したりということで、本当に物置になってしまったんですけども。
県内でも、名が通っていた佐藤さんの会社。最盛期には50人以上の従業員がいたという。しかし、ひきこもり生活を送る息子を立ち直らせるため、廃業を決意したのだ。
「我々の生き様を変えていかないと、彼の生き様も変わらない」。
これまでは、食費などの名目で、月々10万円を渡していた。これ以上息子を甘やかすわけにはいかない。廃業はその決意の表れだった。
「お金の出るところとしての会社の存在を消したかった。会社を消さない限りいつまでもお金が出ると思っているだろうから。それを消したかったという思いがあります。」
とその時、大音量の音楽が突然流れ始めた。
「いなかったんですけども、息子かな。」
息子は事務所の外に止めた車のドアを開け、大音量でカーステレオから音楽を流し始めたのだ。
「怒っているのと、あのう、邪魔したいですよねこれ。」
来年から年金生活が始まる佐藤さん夫婦は 傍若無人な態度を取り続ける息子と、今後、どのように向き合うのか。
「引き算していくと、あと5,6年間だと思うの。息子とこう掛け合いができるのは。その中でなにかができるのかと言えば、できることなんてほとんどない。ま、悪い言葉を言えば、「飼い殺し」とか。」
「答えは二つしかない、飼い殺しにするか離れるか、親の方から。」
ひきこもった息子との20年、両親は今も耐え続けている。これは7年前、佐藤さんが立ち上げたひきこもりの親の会のホームページだ。同じ境遇で苦しむ親や当事者と意見交換を行い、息子がひきこもりから脱出するきっかけを今も模索している。
「今はもう、その出来ることってのは・・」
「そうですね、だから、第三者にかかわって、もらえる方法を探すことで、一所懸命。」
午後6時半。夕食の準備をする宮子さん、息子の夕飯は再び冷蔵庫の中へ。
「はい、じゃ、いただきますか。」
度重なる家庭内暴力。つねに、気の休まらない日々。しかし、息子とは離れられない。この親の思いは、息子に届くのだろうか。

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